令和8年「二十歳のつどい」誓いの言葉・意見発表

1月5日(月)に八丈町多目的ホールおじゃれで、令和8年八丈町「二十歳のつどい」が行われました。
今年は、男性27名女性29名計56名が参加しました。
二十歳を迎えた方々のご活躍が期待されます。

●司会進行
奥山 友暉、大塚 明日弥

●二十歳を迎えた参加者の方々による「誓いの言葉」、「意見発表」の内容をご紹介します。
・誓いの言葉  山下 桃世
・意見発表   大澤 里桜
・意見発表   菊池 朱華
・意見発表   玉置 妃瑶
・意見発表   渡邉 晴万

 

誓いの言葉  山下 桃世

本日は、二十歳になった私たちのためにこのような素敵な式を開催していただき誠にありがとうございます。本日、お越しくださったご来賓、地域の皆様、保護者の皆さま、開催に関わってくださった全ての皆様に心から御礼申し上げます。
みなさん、それぞれの道に進んで約2年が経ちました。みなさん一人一人の心にはどのような素敵な経験、思い出がありますか?毎日を過ごしていく中で、自分自身に成長を感じる機会が多くあったと思います。初めての職場や学校という新しい環境に安心して挑むことができたのは、友達や家族、祖父母、応援してくれる地域の人々がいたからだと思います。知らず知らずのうちに、いつも心のよりどころになってくれていると感じます。
八丈島で生まれ育った私たちはこの島と人が、大好きです。綺麗で深く青い海、緑豊かな山、美味しい食べもの、それらから受けた恩恵は数え切れません。また、沢山の温かい人たちに支えられてここまで来ることができています。私たちは、周りの人への感謝を忘れず、一人一人の個性を最大限輝かせていくことを誓います。
以上を持ちまして、誓いの言葉とさせていただきます。

 

意見発表  大澤 里桜

まずはじめに、台風22号23号の影響により大きな被害を受けたここ八丈島で、こうして無事に20歳の集いを開催していただけたこと、とても嬉しく思います。ご尽力賜りました関係者の皆様に参加者を代表して深く感謝申し上げます。
この意見発表をするにあたり、何を話そうかとても迷ったのですが、私はずっと続けてきたバレーボールと、私の価値観を変えてくれる仲間と出会った大学生活を通じて学んだことについてお話しようと思います。小学校の頃はここ八丈島で母親が指導者を務めていたチームで活動し、中学からはさらに上のレベルを目指して東京へ出ました。中学高校と、ある程度のレベルの学校に通わせてもらい、毎日が部活で、6年間やり切ったという思いが強く、バレーボールを続ける気はありませんでした。そんな時、当時部員が5人しかいなかった大学のバレー部から、先輩方に猛アタックを受け、流されるように入ったのがはじまりです。そんな気持ちで始めた大学バレーでしたが、私もびっくりなことに今がいちばん楽しいんです。
その理由の1つ目は大学ならではの”自由度”です。中高の部活にも、もちろん楽しさはありましたが、毎日のきつい練習や、ミスをしたら怒られる練習試合や試合、今思えばやらされるバレーだったのかもしれません。
今のバレー部は、先輩は1人、同期5人、6人の後輩がいます。2年生にしてほぼ最上級生のような形でやらせてもらっているということもあり、自分たちに必要な練習はなんなのか、この相手に対してはどのようなフォーメーションがいいのか、どういう攻め方、守り方がいいのかなど、中高の時には教わったことを守るだけのバレーだったのが、自ら考えてプレーするバレーボールに変わりました。
現在は週に4日の練習で、夏休み前、春休み前には1ヶ月超の長期休みもあります。週4日は多いと思う方もいると思うのですが、私は練習日に授業を詰めて、平日に2日間の休みを作っています。こういった自由な調整か出来るのも大学ならではです。
とはいえ、とても忙しい日々であることに変わりはありません。その中で私が楽しさを感じられている理由の2つ目が、”人間関係”です。バレーボールはチームスポーツなので仲間との連携がとても必要になります。中学高校でも大好きな仲間がいましたが、時には色んな問題も起こりました。大学ではそれが全くなく、私を含め同期5人ですが、それぞれがペアで遊びに行ったりもするくらい仲がいいです。とても恵まれたなと感じています。
私がこの大学バレーを通して実感したのは、「自分で選んで、自分で動くことで人生はどんどん楽しくなる」ということです。続けるつもりのなかったバレーボールを、もう一度やってみた。そこで、考えてプレーする楽しさや、最高の仲間と出会えた。「やらされる」から「自分たちでつくる」に変わった瞬間、同じ競技でもこんなに景色が変わるんだと知りました。そして20歳の今、これからの人生でもきっと迷うこともあると思いますが、その度に今日までの経験を思い出しながら、“自分で決めて、動いてみること”を大切にしていきたいです。
本日この場所に集まった同世代の皆さんと共に、それぞれの道で前向きに一歩を踏み出していけたら嬉しく思います。
ご清聴ありがとうございました。

 

意見発表  菊池 朱華

風花の舞う今日この頃、二十歳を迎えた私たちのためにこのような式典を開催していただいたこと、この場をお借りして御礼申し上げます。また、ご多忙の中ご参列くださいました皆さまに、心より感謝申し上げます。
そして、この度の台風 22 号・23 号による被害に際し、謹んでお見舞い申し上げます。ニュースを通して状況を知りながらも、何も力になれない自分のふがいなさを痛感いたしました。一日でも早く、大好きな八丈島の風景と日常が戻ることを心より願っております。
さて、年月が経つのは早いもので、高校を卒業してからすでに 2 年が経ちました。皆さんは、この 2 年間をどのように過ごされてきたでしょうか。私は大学進学のため島を離れ、一人暮らしを始めましたが、毎日が戸惑いの連続でした。家族や友人、教職員の皆様、そして地域の皆様にどれほど支えられてきたのかを実感する日々です。その中でも特に大変だったことを二つ、お話しさせていただきます。
一つ目は、極度の方向音痴であったことです。片道 1 時間の通学路に 2 時間かかったり、校内の敷地を覚えるのに 7 月までかかったりと、毎日のように迷子になっていました。
二つ目は、ホームシックになったことです。八丈島では、道を歩けば地域の皆さまが声をかけてくださり、家に帰れば家族が「おかえり」と迎えてくれました。その当たり前の日常がなくなり、一人で過ごす中で誰とも言葉を交わさないことへの喪失感に襲われたのです。
その結果、生まれたのが一人での対話でした。帰宅すると自分で「おかえり」と声をかけ、「ただいま」と返す。「夜ごはん、カレーでいいかな」と問いかけては、「うーん、シチューの気分かな」と答える。気を紛らわすための無意識の行動でしたが、かえって寂しさやむなしさを感じたことを覚えています。しかし同時に、自立へ向かう大きなきっかけにもなりました。
そんな私も 20 歳を迎え、大人の仲間入りをする年齢となりました。誕生日は人生に何度もありますが、20 歳の誕生日だけは幼いころから特別に感じていました。20 歳になれば、きっと“かっこいい大人”になっているのだろうと漠然と思っていたからです。実際に、19 歳だった昨日の自分とどれほど違うのかを確かめたくて鏡をのぞいてみましたが、当然ながら見た目は何も変わっていません。それどころか、一人で対話をしてしまうようなかっこよさからかけ離れた行動をする始末です。そんな自分に少し落胆しながらも、これからどのように成長し、どんな大人になっていくのかは、努力次第だと強く感じました。
高校を卒業し、20 歳を迎えた今、私たちは大きな門出に立っています。といっても、すぐに大人になれるわけではありません。悩んだり、立ち止まったりすることもあると思います。しかし、「人生 100 年時代」といわれるように、これからの時間は長く続きます。どうか焦らず、自分らしさを育て1度きりの人生、悩みや困難でさえも思い切り楽しんでください。人生は楽しんだもの勝ちです。
長くなりましたが、私たちがここまで成長することができたのは、保護者の皆さま、教職員の皆さま、そして地域の皆さまが温かく支えてくださったおかげです。本当にありがとうございました。私も、母と祖父に少しでも恩返しができるよう努めていきたいと考えております。まだまだ未熟者ではありますが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
結びに、八丈島のさらなる発展と、これまで私たちを支えてくださったすべての皆さまへの感謝を申し上げ、私の意見発表とさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

 

意見発表  玉置 妃瑶

椿の花が静かに色づき、冬の島に優しい彩りを添える季節となりました。
本日は、二十歳を迎えた私たちのためにこのような式典を開催いただきまして、誠にありがとうございます。
まず初めに、昨年の台風二十二号・二十三号により被害を受けられた島民の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。そのような状況の中で、私たちの節目の日を迎えるにあたり島を支えてくださる皆様のご尽力でこうして集うことができましたことに、深く感謝申しあげます。
私は二年前に八丈島を離れ、現在は都立広尾看護専門学校で看護師国家資格取得のため勉学に励んでいます。八丈島で生まれ、八丈島の大自然の中で育った私にとって都会での生活は慣れないことばかりでした。それに加え、看護学校での学びは想像していたよりもはるかに大変で、毎日の授業、月に何度も行われるテスト、レポート課題、病院での実習をひたすらこなすような二年間だったと思います。
気が付けば、まだ先のことだと思っていた、領域別実習というこれから一年間続く実習が始まり、看護学校での生活も残り一年となりました。
そのような生活を送る中で、正直何度も逃げ出してしまいたいと思うこともありました。けれど、島に帰るたびに変わらずに応援してくれる家族や、温かく見守ってくださる島の皆様、実習で受け持ってきた患者様からの励まし、看護学校でできた同じ目標を持つ友人たちのおかげで、なんとか二年間前を向き続けることができました。そんな中、2026年3月をもって八丈島での分娩を終了するという知らせを聞きました。元々助産師を目指していた私にとって、この知らせは大きな衝撃でした。島で生まれ育った私自身、私の尊敬する助産師さんや町立病院の方々の支えがあって、生まれてくることができました。決して当たり前ではないけれど、安心して出産を迎えられる環境があったと思います。しかし、これから生まれてくる子どもたちを、同じように島で迎えられないかもしれない。その現実を知り、胸が締め付けられるような思いでした。 八丈島のような地域では、妊娠・出産に不安を抱えるお母さんたちも多いと思いますが、出産の前後に島外へ一人で向かわなければならないとなると、不安や心細さはさらに大きなものになるのではないかと思います。そんなお母さんたちの力になりたい。島で安心して出産ができる環境を守りたい。ここで産んでよかった。と思える環境づくりに関わりたい。その思いは分娩終了の知らせをきっかけに、より一層明確なものになりました。そして、私は八丈島で助産師として働くことが、とても特別で素晴らしい役割であると思っています。八丈島では、生まれてきた子供たちが成長し、大人になっていく姿を、同じ島でずっと見守り続けることができます。ただ生まれる瞬間に立ち会うだけでなく、その後の人生にも寄り添い続けられる。そんな素敵な関わり方ができるのは、この島ならでは であり、他の地域ではなかなか得られない経験だと思います。私が憧れ、助産師を目指すきっかけを与えてくださった二人の助産師さんのように、島のお母さんや子供たちに寄り添い続けられる存在になりたい。島で生まれる命に向き合いその成長を長く見守ることのできる助産師になりたいという願いが、今の私の原動力です。これからも私は、島で育ててもらった恩を少しずつでも返していけるよう、まずは看護学校を無事卒業し、助産師学校への進学という次のステップに進めるよう、一つ一つの学びに丁寧に向き合っていきます。
また、助産師になるまでの道は決して簡単なものではなく、今後も挫けそうになることが何度もあると思います。しかし、これまで島の皆様からいただいた沢山の愛情とあたたかさを力に変え、いつか島の力になれるよう成長していきたいと思います。
二十歳という節目をこうしてあたたかく祝い、見守ってくれる家族、たくさんの親戚、島民の皆様に心より感謝申し上げます。拙い発表ではございましたが、八丈島のこれからの復興と更なる発展を心からお祈りし、意見発表とさせていただきます。
本日はありがとうございました。

 

意見発表  渡邉 晴万

昨年は、台風などで多くの苦難に直面する中、自分に出来ることは何かを見出せずにもどかしい時期を過ごすこともありました。本日、こうして前を向く気持ちを持ち、胸を張って、無事に二十歳の集いに出席できますことを、心から嬉しく存じます。この小さく、暖かく、活気に満ちた島を離れてから、すでに2年という歳月が流れようとしていることに、改めて驚きを隠せません。ここに集う誰もが、等しく同じ気持ちでいることでしょう。「今日は嬉しや皆様と一座、明日もこの座があればよい」という一節がショメ節に御座いますが、二度と来ることのないこの貴重な機会を誇らしく思い、『八丈太鼓と暮らしの調和』について、意見発表を述べさせて頂きたく存じます。不慣れながらも精一杯努めますので、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
さて、一口に”調和”と申しましても、捉え方は様々です。まず、ここで例に挙げる八丈太鼓とは、”調和”という観点からも残していかなければならない、この島の文化だと思います。打楽器の中でも珍しく、両面うちで、上打ちと下打ちがあり、ふたりいて初めて、成立します。八丈太鼓は音楽的な音の融和に留まらず、人間と自然の間にある普遍的な繋がりなどをも、深く内包していると考えられます。老若男女、誰でも楽しむことができる八丈太鼓は、自由を前提としているからこそ、以外にも大人よりも幼子の方が上手に叩けるわけです。「自由なのだから優劣は無いだろう」と言われましたら、ごもっともでございますが、そんなに簡単な話ではないのです。ここで言う「上手に叩く」は、技術的な話ではありません。気持ちがよいという事です。幼子の太鼓は、太鼓を叩きたい、太鼓を叩くこと自体が好きという意思から我武者羅に叩くため、見ていて気持ちがよいのです。しかし大人ときましたら、上手く叩こう、正解を探そうなどと、難解に辿り着いてしまいます。考えること、合わせたい、良く見せたいと思うのは至極当然な事です。しかし、それは自分の首を締める事にもなるのです。そんな八丈太鼓を叩く時、調和をとることは、少し難しいかもしれませんが、調和が取れたら、聴く人も、叩く人も、気持ちのよい太鼓が仕上がります。心の内側から熱くなる太鼓は、周囲の人達に影響を与え、その空間が文化を繋いでいきます。迎え太鼓や送り太鼓など、叩かれる場面は多々あります。こうして、心身に刻まれた音は、島内外関係なく、八丈島の意志を受け継いでいくのです。
八丈太鼓は、自分、相手、周囲の人、それぞれひとつだけを考えていては成り立ちません。先程話した通り、ふたりいて初めて成り立つこの楽器は、ひとりで生きることの難しさを教えてくれるようです。自分のことのように相手の事を考え、相手も同じ様に考える太鼓は、八丈島そのもののようです。台風の際、島から離れていている私にとって、知ることの出来る情報は限られていました。その中でも、snsを通じて、八丈島の方々が一日一日、周囲の人たちと支え合い、暮らしていることがわかりました。そこから、自分の事のように相手のことを考え、行動する姿を知りました。台風だからではなく、知り合いが多い島ならではの暮らし方なのかもしれません。それが、八丈島に根付いている、暮らしの安心であり、八丈太鼓と深く繋がりのある、調和だと考えます。
この広い世界の中にある、八丈島で自然と調和しながら受け継がれてきた太鼓の文化は、現代において非常に高い価値を持ちます。先ほども申し上げましたが、叩く人だけの太鼓ではありません。耳に聞こえてきた太鼓、子どもの頃、教えてもらった太鼓、島酒に酔った大人たちの楽しそうな太鼓、少しずつ上手く叩けるようになる喜びを覚えた太鼓。島に住む人、訪れた人、様々な場面で八丈太鼓は音を奏でられてきました。
私たちは、暮らしに根付いた、この大切な伝統を決して途絶えさせることなく、次の時代へと着実に、文化の灯を繋いでいきます。
また、自らの学びの歩みを止めず、過ちを恐れずに内省を深めながら、自分らしい生き方を模索していこうと思います。また、皆同じように水平線を眺め、潮風を浴び、太陽の光に包まれ、雨の匂いを知って育つ私達は、とても恵まれていることを、改めて感じています。私は、やかましいくらいにかまってくれるこの島が、大好きでちょっと嫌いです。島から離れていても、記憶のすぐ側にある、八丈島も、太鼓も、私の心の支えです。これからも、感謝の念を忘れず、一歩一歩、着実に前進することを誓い、あたたかく、調和のとれた世界を共に目指していきましょう。