Astaの日記」カテゴリーアーカイブ

Asta の日記 DAY 28「一流ドライバー」

 最近「ドライブは楽しい」と感じるようになりました。晴れた日に車に乗って、スピーカーで音楽を流して、底土、大阪トンネル、南原千畳敷などへ向かうと気持ちが良くなり、ヴァケーションの気分になります。今までは車で移動することは「必要である」、「AからBまでたどり着くための手段」でしたが、その内に目指す目的地がなくても、ぐるぐると島を運転することが楽しく感じてきました。

 リトアニアの生活では車が非常に便利なものです。地下鉄がないリトアニアでは、車、バスや電車が主な移動手段になります。私の場合では高校生になってから20+kmで離れている首都のVilnius(ビィリニュス)に通うことになって、朝-自家用車と夜-路線バスで移動していました。大学生になってから通勤時間を減らすため自分で免許証を取って運転することになりました。けれども、国で交通量が一番忙しいビィリニュスは初心者ドライバーの私にはハードルが高い始まりでした。家を出てすぐ始まる90km/h速度の森林の道路、しばらくして交通標識だらけに変わる道や朝-夜の雑踏…周りに注意しつつ集中力をマックスにして、運転する時音楽さえ聞いていませんでした。数年間賑やかな道を走り続けたら、気が付いたら緊張感が消えつつ、自信もつきました。そのような道路に育てられ、ちょうど「初心者ドライバー」を卒業したと感じた頃、八丈島に行くことになりました。

 来島して、坂や雨の日が多い八丈島にも車が必要と分かりました。私が運転することになった車はリトアニアで見かけない軽自動車でした。その車はオートマチック車で、ハンドルが右側にありました。そして一番大きく感じた違いはクラッチがなかったことです!今まではマニュアル車しか乗ったことがなかったため、ブレーキをクラッチのつもりでよく踏みました。車以外慣れていないことがたくさんあって、標識で書かれている漢字の意味を分からなかったり、リトアニアのルールに従って昼間でも常にライトを付けたり、オートマチック車の「2」と「D」の違いを知らなかったり、車に乗ろうとした時、助手席から入ろうとしたりもしました。

 

 しかし、一番大きな不安を感じたことは日本が左側通行であることでした。リトアニアは右側通行なので、間違って反対車線に入ったら大変なことになると思って、最初の数日間は徒歩で島を回って、頭の中で運転シミュレーションをしました。けれども、実際に車に乗ったら、「あれ?待て、どっちがどっち、日本は右、リトアニアは左?(答:日ー左、リー右)」と頭が完全に混乱し、考えれば考えるほど分からなくなりました。その悩みをお母さんと電話で相談して、日本だと「真ん中の線はドライバー席の右側にあるべき」というルールを作りました。毎回呪文をかけているように「真ん中の線は…」、「…ドライバー席の…」「…右側にあるべき」と繰り返しながら進みました。

「真ん中の線はドライバー席の右側にあるべき」

  運転すればするほど島の運転に慣れ、一ヶ月もかからず普通に走れるようになりました。1年で国際免許証が切れた時は移動の自由がほしくて、東京府中試験場で運転免許試験を受け、合格しました!リトアニアでも八丈島でも最初は運転することが難しかったですが、努力を尽くしたごほうびはどこでも行ける自信と音楽を聞きながら、綺麗な島をドライブすることの楽しさです!

Astaの日記 DAY27「アスタの買い物術」

 私は日本で食料品の買い物をするのが好きです。陳列棚に並んでいる食材を見ると「これは何なの?」「これをどうやって、何に使う?」、「これはどうやって食べる?どんな味がする?」という気持ちによくなります。

 最初はあんまりにも何を食べたらいいか分からなくて、困っていましたが、徐々に自分の毎回の買い物リストができて、野菜、果物、魚は私のカゴに詰め込む中身になりました。そして買い物をすればするほど、どこで何を買うか自分の好みを見つけました。

 しかし、商店に通いながら不思議に思ったことはたくさんあって、いくつかリストアップしました。

1.船が連続で来ないと日常商品が買えなくなることです。たまにあるものだと聞いていましたが、実際に自分であっちこっちですっからかんの棚を見たら、「お金があるけど、半分空っぽの商店で買うものがない」と子供の頃おばあさんがソ連時代について話したセリフが浮かびます。

2.卵が冷蔵庫の中ではなく、普通の棚に置いてあることです。島で卵を買おうとしたら生ものである卵は何週間もそのまま置いてあって大丈夫なのかという心配を感じました。そういう条件で売られている卵をあまり食べたくない時期もありましたが、調べてみたら、冷蔵庫に限らず常温保存の方法もあると分かって買うようになりました。このきっかけで卵についての知識も増えました(笑)。

3. あさぬまと八丈ストアのお弁当割引です。仕事終わりに、家に何もない日、割引がついているお弁当はなかなかありがたいことです。とくに50%の割引ですね。けれども、八丈ストアで18:30になったら普段表に出ない日本人の戦いモードはスイッチオンになって、皆さんは頑張って狙っていたものを取ろうとします。その姿は高校生の時乗っていた一日に何回かしか来ない路線バスの様子を思い出されます。乗ろうとしていた人々の熱意は八丈島にも感じてビックリしました。

4. リラックスできるレジの段階です。リトアニアとヨーロッパの多くの国ではレジの定員さんは買い物をスキャンしたら物をカゴに戻さず、滑り台のようにレジの向こう側に軽く押します。そこから自分で物を取ってかばんに入れなければなりません。一方、八丈島では買い物カゴをそのままレジの定員さんに預けて、定員さんが丁寧に重さと形を考えながら商品を並べてくれることはらくで感謝を感じます。

 この4つと他の細かい違いは私にとって新しい発見でしたが、皆さんから見れば、カゴを使わず商品を手だけで持っている、知らない人に「これをどうやって食べるんですか?」と質問等しているアスタも少し変わった風にみえたりするかもしれません。けれども、そういう所こそ、文化の違いを気づく舞台になります。商店で感じる違いや新しい刺激は食料品の買い物が好きになった理由です。皆さんも「これはどんな味がする?」気になる商品がありませんか?今まであまり食べなかったものを食べてみたら面白い発見がある思います。リトアニア産の限定チーズ「ジュガス」はいかがですか?!

Asta の日記 DAY 26「島のヒーロー達の新年」

 今年の仕事始めは朝起きていつもの格好で仕事に行くのではなく、八丈町の消防団員の青色とオレンジ色の活動用服を着て町役場に向かいました。そのきっかけは出初式でした!

 一ヵ月前「アスタ、出初式に参加する?」と聞かれた時、そもそも出初式は何なのかと思ったことがありました。調べてみたら江戸に根付いた「仕事始め」の儀式(出初式)は現在の消防の力を示すことで町民を楽しませながら消防への信頼や理解と火災予防に対する意識を深める行事になっています。リトアニアの「消防士の日」は似たようなものだと思いましたが、「消防の力」には「消防団」も入るものだとは島に来てから初めて知りました。

 リトアニアの消防団員は数少なく、消防団の概念を知っている人がわずかです。だから私も、八丈町の様々な地域にある消防団を見た時、消防本部に間違えてしまって、実際にそれは消防団だと分かったら、ビックリしました。消防士より約8倍島にいる消防団員は自分の意志で火災現場、救助現場や行方不明者捜索に参加している島民の人々です。すごいと思いませんか?間違いなく消防団員は町の「消防の力」になっていて、出初式には消防士と共に不可欠な存在です。

 ということで私は消防団員のパレードに参加することになりました!けれども、お正月の前後上京することになって訓練に出席できず困っていました。プライドを持って自信がある姿を皆さんに見せようと思ったら、自分で練習するしかありませんでした。そこで消防士である友達にお願いして特訓をさせてもらいました(ありがとう先生!)。

 役場から大賀郷中学校へ向かっている内に「大丈夫なのか」という緊張感もありましたが、仲間の3年ぶりの出初式の気持ちに気づいたら、私も楽しみのドキドキの気持ちになりました。いよいよ開会式が始まったら、色々な方々が登壇する時に「気をつけ」と「休め」の号令に従って手指まで綺麗に動こうとしました。冷たい風に当てられて、背中が痛くなっても形を崩せず皆さんで消防団員のプライドを持って頑張りました。

 


 消防団員と消防車両のパレードが終わったら消防団員の操法大会が始まりました。私のチームはサポート役で出ませんでしたが、残りの五つのチームで選ばれた代表者は順番に競争することになりました。皆さんのびしっと伸びていた手先、スムーズに出されたホース、一気にターゲットに当てられた水や響き続けた勢いよくの声は訓練してきた努力の結果でした。

 操法大会の優勝のチームを発表してから、二つのターゲット(くす玉)を持ち上げたトラックが来て、全分団による一斉放水が行われました。くす玉を割れたらお菓子でも落ちてくるかと思ったら一個ずつ「謹賀新年」と「八丈町消防団出初式」の言葉がほどけてきました。ターゲットが割られた時の観客の「わぁ!」は水の色が変わってきた瞬間にもう一度強くなりました。

 最後にもう一つのサプライズがありました!お餅を運んでいる各地域の消防車が真ん中に来て、根気よくずっと横で見ていた観客が中央に集まりました。儀式に招かれていた方々に餅まきされて、楽しくお餅をキャッチしようとしている皆さんを見て私も混ざりたいなあ~と思いました。その気持ちが誰かに気づかれたようにお餅は私の方までも飛んできて、嬉しく頂きました。

 お餅が配られて、消防車が町内でパレードに行かれて、出初式が終わりました。消防団員と消防士がお片付けを終えたら私の初めての出初式も終了となりました。消防と町を繋ぐイベントがやはり大事だと思いながら、今回八丈町の消防団員の力も見られました。外国人消防団員としてできることが限られているけれども、皆さんと同じ訓練を受けて色々なことをできるようになりたいと思います。町民の皆さんも毎年強くて綺麗に新年を始めようとしている消防を応援してくださいね!今年の皆さんはかっこ良かったです!



Asta の日記 DAY 25「植物公園で毎日のピクニック」

 皆さん明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。

 皆さん、昼ご飯をどこで食べていますか?自分の職場で聞いてみたところ、多くの人が職場の中、自宅か店で昼ご飯を食べています。それはコンクリートと高いビルの都会でしたら普通の答えに聞こえますが、自然が豊かな八丈島の場合はもったいないと感じます。

 そう感じた理由は、リトアニアでは天気がいい日でしたら、たくさんの人が外で食べようとしているからです。木の下にあるベンチも、頑張って外へ出されたレストランの机と椅子も人々が昼ご飯を食べている場所になっています。八丈島に来る前、職場の近くに広い公園があるとわかった時「ラッキー!」だと思って、そこで昼ご飯を食べることを楽しみにしていました。

 初めて公園で食べた日は机があるロケーションを探しました。東エントランスから入って主要な道を歩いたら「ビロウ広場」という所で八丈富士が見えるスポットを発見しました!しばらくの間そこで昼ご飯を食べていましたが、いきなり雨が降ってくると逃げなきゃいけないことは少し困っていました。そうならないように、他の食べる場所を探しました。そうすると植物公園は迷路のような公園で色んな道が繋がっているとわかりました。公園で食べるだけではなく公園を歩くことも楽しみになりました。緑のカーペットのような道、海と八丈小島が見えるポイント、温室の「タビビトの木」は好きな通いスポットになりました。植物公園でのご飯と散歩でリフレッシュしてから仕事に戻ったら、午後眠くなることもありませんでした。

 春頃になってから公園で一緒に食べる仲間ができて楽しかったです。しかし、夏になってから暑さにやられました。夏は暑くて、昼間は日陰がある所じゃないと気温に耐えられませんでした。海であるいは、家の中で食べる日が増えました。そのまま室内で食べる楽さもわかって、また秋に入っても家で食べることが多かったです。

 今の私は家で食べたい日も公園で食べたい日もありますが、最近公園で食べたい気持ちがまた強くなってきています。かけがえのないピクニックのような植物公園の昼休みを皆さんにもぜひやってみてほしいです!もう少し暖かくなったら一緒に公園で食べましょう!

 私のお気に入りスポットTOP3はここよ!

Asta の日記 DAY 24「青ヶ島」

 ちょうど先週、風が暴れている朝の9時ごろ、八丈空港に着きました。今回の行き先は伊豆諸島の一番離れている島、青ヶ島でした。青ヶ島に行く理由は旅行ではなく、仕事で青ヶ島村小中学校の国際交流事業のためでしたが、荒天の中で無事に行けるかという疑問を感じました。徐々に集まってきた搭乗者と異常なしという受付の動きで「ヘリが飛ぶ」ことを予想しました。10時ごろ、12月から運航している新しいヘリに乗って20分後青ヶ島に着陸しました。

 青ヶ島に着いたら迎えが既に来ていて、一緒に学校に行きました。担当の先生と挨拶して、民族衣装に着替えたら、本番の時間でした。当日の構成はアスタの発表、一緒に給食を食べ、生徒のスピーチとリトアニア・日本ゲームでした。そんな流れで3時間一緒にいて、お互いのことについてたくさん勉強しました。ものに関心を持っている生徒、特別にリトアニア料理のメニューを作った学校の調理人、リトアニアのモチーフで作られた学校の飾り、事業が実施できるように頑張ってくださった先生方、慣れていないものに挑戦しようとした皆さんの努力に感動しました。

 交流イベントが終わってから、学校の先生に島案内されました。青ヶ島の有名なカルデラは写真と比べ物にならなくて、びっくりの音が出るほどの風景でした。島の奥にある丸山のひんぎゃ、水蒸気の噴出する穴も非常に印象的でした。それ以外、ドライブしながら窓から見えた植物も今まで見たことのない雰囲気を作っていました。

 青ヶ島では普段どのような生活をしているのか、島に来る前から気になっていました。それを聞いてみると店と飲食店が限られるので、自分で料理をすることが多いそうです。食材、必要なものはオンラインで買うことが多くて、ヘリと船が到着するのが待ち遠しいそうです。郵便、電話か実際に会うしか外の人と繋がる機会が昔はなかったけれども、今はインターネットで他の人と繋がることができるから、それは助かるという話を聞きました。

 八丈島から見られるけれども、どこか遠いように感じている青ヶ島が今回身近に感じられるようになりました。青ヶ島を知ることで八丈島のこともよりよくわかるようになった旅になりました。

Asta の日記 DAY 23 「歌姫」

 私は歌うことが好きです。それは音楽好きな家族に育てられたのが大きいと思いますが、今まで人前で歌う経験を片手の指で数えられるほどしかありませんでした…ほとんどの時間は部屋の歌い放題でしたが、そこではある日、人の心を動かす歌を送りたい夢が生まれました。その夢はきっと一生諦めない夢で、八丈島に来てから叶い始めました。

 凄い偶然で、島で出会った人々の内の一人はバンドをやっている人でした。「次にクリスマスのテーマで伴奏するから、見に来て」と誘われた時に、「私もクリスマスソングを歌いたい!!!!」というの心の声が目覚めて、「私に歌わせてください!」と無理なお願いをしました。「いいよ」と言ってくれたバンドの皆に今も感謝しています。去年のハンドメイドクリスマスではクリスマスソングを送ることができ、今後の生活に強いインパクトを与えた経験になりました。同時に、そのきっかけで初めて島の音楽の世界に触れることできました。島で音楽に興味を持っている人がこんなに大勢いるとは思いませんでしたし、音楽を作っている人、楽しんでいる人の割合が多いと感じ、ここは音楽が好きな島だと判断しました。

 数ヶ月後、もう一つのパフォーマンスをポットホールで発表しましたが、その後、しばらくの間活動中止になってしまって、車の中で歌っている日々が続きました。次はいつ歌えるかと悩んでいるうちに、意外な機会が現れました。仲のいい同僚に合唱に誘われて、スキルが高い合唱の皆さんに会いました。今年10月にあった文化フェスティバルに向けて、数ヶ月間頑張って日本語、フランス語とラテン語の曲を練習していました。最初はメンバーのレベルが非常に高くて、追いつくには時間がかかりましたが、舞台に立った時、チームで感情を込めた歌を発表することができて非常に幸せに感じました。

 文化フェスティバルが終わりましたが、現在はまたソロと合唱で歌う準備をしています!皆さんに気持ちを込めた歌を届けるまでにもう少し時間がかかりますが、それまでは今週の日曜日(12月11日)13:30からおじゃれホールで「バレエの第5回発表会」があります。そこの第2部ではラトビアとリトアニアの伝統的なダンスを見られる機会があります!まずはそこで会いましょう!

Asta の日記 DAY 22「一目ぼれの温泉」

 リトアニアにはサウナの文化はありますが、温泉の文化はありません。4年前に初めて日本で温泉に入った時、マナーをよく知らなくて緊張しましたが、温泉とは不思議で、楽しいところだと分かりました。それ以来、日本で旅行をする際に、事情が許せば、いつも温泉巡りをするようにしています。とはいえ、せっかく八丈島に住んでいるのに、温泉にあまり行っていないです。それはなぜでしょうか?

 その理由は、大きく3つです。1つ目は島の温泉が熱いのではないかという心配です。以前、ある温泉で水の温度が40度を超えていたのに、温泉に頑張って入ろうとしましたが、熱くてやけどをしたことがありました。2つ目は実際に温泉が近い所に住んでしまうと何となく行かないことになってしまいます。皆さんも、温泉に行くのが手間がかかって家のお風呂にしたことがあるでしょう?3つ目は正直言いますと、人前で裸になるのがシャイになる傾向です。皆さんが私のこと知っているから、それは少し気にして、行かなかったことがあります…けれども!最近、私にもピッタリ合う八丈島の温泉に入ることができました!それは裏見ヶ滝温泉です。

 来島してから滝が見える温泉の話を聞いて、気になっていましたが、しばらくの間故障中で入ることができませんでした。その内に裏見ヶ滝温泉のことを忘れてしまいましたが、最近、たまたま道を通る時に故障中の看板が消えていることに気づきました。気になって、人の気配がない駐車場で車を止め、裏見ヶ滝温泉の下り階段を初めて歩みました。そうすると美しい温泉が目の前に現れました。木の構造と岩の壁が温泉の空間を作り、岩から流れてくる流れはぽかぽかの温泉です。この雰囲気で今すぐ入りたい気持ちになりましたが、実際に入ったのは準備をしてから次の日でした。「水は熱いのかなあ?入れるのかあ?」と心配をしましたが、数分が経ったら、全身が入ったまま自然なビューと滝の音を楽しんでいました。

 結局、裏見ヶ滝に一目ぼれしてしまって、よく行っています。そのおかげで坂上に行くことが増えて、他の坂上の魅力を探そうともしています。皆さんのおススメのスポットがあれば教えてくださいね!

Asta の日記 DAY 21 「来島1年を振り返って」

 八丈島に来てから一年が経ちました。八丈島に来る前は海外に住んだことも、日本の別の場所に住んだこともありましたが、八丈島は人生で初めての島です。人生で初めての経験で、島の一年間はどうだったか、振り返ってみたいと思いました。

1. 日本で働く

 来島する前に、リトアニアの会社で働く経験が短いながらもありましたが、日本で働くのは初めてです。日本の働き文化についてメディアや知人などから少ししか聞いていませんでしたが、ギュッと近くくっついている机、よく回る回覧、はんこや名刺の文化、企画や書類作りなどはカルチャーショックと言えるぐらい未知の世界でした。それ以外、同僚と上司との触れ方、問題の解決方法なども、分からないことがよくありました。働き文化に慣れたとはまだ言えませんが、仕事の分担、スケジュールや責任のことについてはたくさん勉強になっています。

2. 時間の流れ 

 海の中にある島ならきっとゆっくりでのんびり日々を過ごせると思っている人が多いかと思いますが、私の場合そうでもない日が多いです。確かに、買い物まで30分かかるような道もなく、「渋滞」や「2時間かかる出勤」は島で聞こえない言葉です。無駄にならない時間を皆さんが好きに過ごせることができます。時間の余裕があるからこそ、夜、仕事後で行われているスポーツや音楽の活動は平日でも多いです。それに参加しようとしている私も毎日イキイキしています。

3. 食事

 Astaの日記DAY 13を読んだ皆さんなら、もう知っていると思いますが、半年前ぐらいずっと食事に困ってきました。しかし、そのおかげで、自分の胃袋に何が合うか意識的に探してきました。結果的に揚げ物、めん類、おやつと夜遅い食事は私に合わないとやっとわかってきました。その代わりに食べられるようになりたいものを少量で一年間の間食べてきた結果で食べられる料理が結構増えました。お米も食べられるようになりました!

4. 運転

 道路を走っている金髪の人を見かけたことがあったら、それはきっと私でした。右側通行のリトアニアの運転は左側通行の日本と根本的に変わらないです。しかし、初めて八丈島で運転した時、私も隣に座っていた同僚も不安な顔で道路に出ました。とは言え、運転が好きな私は運転しやすい八丈島の道路にすぐ慣れて絶景を楽しみながら走りました。国際免許証が切れてしまう前に、東京で本物の日本の運転免許も取りました!2回も上京して、府中運転免許試験場で新品の免許を手に入れて、島だけではなく、日本中で運転しています。

5. 日本語

 八丈町で毎日、日本語だけを使う生活をしているおかげで、来たばかりの時に比べて上達しました。もちろん、日本語で分からない、言えないことはまだありますが、そういう時はなるべくドンマイの考え方で優しい日本語で再チャレンジしています。そういえば、島に来て、初めて5年間ずっと使ってきたおかしい日本語を直してくれた人もいました。例えば、私の好きな「そうだ」は「そうよ、そうだよ」を意識的に使うようになりました。

6. 気候

 常春の島だと言われている八丈島はその名前の通りだと思います。しかし、雨と風が多い日々に慣れるのは時間がかかりました。数回ひどい雨に濡れてから反省して、1時間ごとに天気予報を見たり、予定を工夫したりすることを学びました。「天気が悪い日」があるとしても家の中でリラックスできる時間が取れるので、雨の日もいいと思えるようになりました。どちらかというと雨の日より、ずっと晴れで、熱い夏の日々の方が我慢できない天気になっています…

7. 趣味

 島ですることがいくらでもあります。畑、釣り、山登り、海の遊び、スポーツ、音楽、アートやハンドメイド・クラフトなど、好きなことをやって、発表している島民はこの島の生命力でもあります。来たばかりの時、今までやってきたダンスとスキーは難しくなったので、やることがなくなりました。しかし、休みの時間をそれぞれ楽しく過ごしている人が多く、その中に入れてくれたことで私も新しい好きなことをたくさん見つけました。一年たって、私の趣味のリストはこうなりました:1.散歩2.シュノーケリング3.卓球4.歌とダンス 5.読書。

 この一年間の島暮らしは毎日を大事に思っています。私の日常が問題なく、スムーズ、心配せずできたというわけではありません。いっぱい間違えて、勘違いして、やり直して、再チャレンジして、また失敗して、周りに頼りや助けられながら進めてきました。苦労した部分も幸せな部分も私を成長させた経験です。これからも前向きに前に進んで、よりいい島生活を体験していきたいと思います。次の目標はクレジットカード作り!

Asta の日記 DAY 20 「私の鎧」

 今月の15日に飛行機に乗って東京に行った。ミス八丈島の仕事で板橋区民まつりに行くことになって、まつりでは主に3つの仕事があった。①まつりの開会式に町長と一緒に出席すること、②新聞の取材、③八丈島物産展でお客さんにアピールして八丈島に興味をもってもらうことだった。1ヵ月前、愛らんどフェアで同じような物産展に出席したから、今回はどんな感じになるか想像できた。

 2日間で開会式も新聞の取材も無事に終わって、八丈島の物産展にいった。ブースまで来てくれたお客さんはだいたい販売されている商品、八丈島かミス八丈島に興味を持って近寄ってくれていた。その時、相手の興味を聞きながらブースに並んでいる特産品を勧めたり、観光の見どころの案内や観光の説明等をした。今まで島のことを知らなかったお客さんがけっこうきてくれたから、紹介できることがたくさんあった。それに、愛らんどフェアと違って今回は黄八丈で島をPRすることができた!島外のイベントで黄八丈を着ると戦士が鎧を着るように、まだ磨けるところがあるとしても、島のPRという戦いでは負けない気分になりきる。だから、イベントの状況が許せばミスは黄八丈を着ることにしている。

 しかし、今回黄八丈を着ることにはチャレンジがあった。現場の着替え室には着付けに不可欠な鏡を用意することが困難だった。それを事前にわかっていたので仲間と二人で着物を着ることにしたが、やはり心配していた。当日、着替え室に行ったら、机、いす、ホワイトボードぐらいしかなかった。普通の会議室。仲間を待っている間に、どうやって着物を着るかと悩みながらホワイトボードが少しだけ反射していることに気づいた。それを活かして、仲間の到着までに、ホワイトボードを見ながら着付けを始めた。最初は順調にいけたが、着物の長さ、真ん中の線、エリの位置等の調整に困っていた。ありがたいことに仲間がすぐに来て、私に手伝ってくれた。どうにか、二人で長さと真ん中を調整でき、残りのステップをクリアしてイベントに行けた。

 今まで練習していた環境は必要なものが全部揃っていたけれども、鏡がなくて一人で着付けをするのがまだ私には難しかった。仲間とのチームワークのおかげで着物を綺麗に着れてイベントに参加できたが、次は余裕を持つためにプランB、C、D等をしっかり持って、黄八丈の鎧を着る儀式をスムーズに行いたい。

Asta の日記 DAY 19 「八丈島の洗礼」

 島に住むうえでは、島の生き物になれる必要がある。はじめて家の中でヤモリを見かけて、大騒ぎになった時に比べて、11ヶ月間で色々な虫に出会って随分落ち着いてきた。けれども、気候が寒くなりつつ、外のものが暖かい家の中に避難している。その証拠に、最近もとある試練があった。

 その試練は朝の2時に変な音に起こされることで始まった。ベッドから飛び出して、電気をつけたら近くにサソリモドキがいた。驚いて、部屋から出たら「今のタイミング?どうしよう?寝たいのに」のことしか考えなかった。外でしか見ていなかった虫は家の中では余計にでっかく、怖く、不親切にみえた。夜中疲れて、私が一番弱い時にサソリモドキを相手にしなきゃいけないなんて…酸と匂いの特徴についても聞いたことがあったから、近寄る勇気がなかった。疲れで頭が回らなくて、とりあえず、窓と扉を開けることにした。

 しかし、扉を開けようとした瞬間また何かが動いた。気のせいかと思って電気を付けたら手の平の大きさほどのクモがいた。叫びたい気持ちを飲み込んで(近所迷惑だめ!)、自分の家の中で人質になった気がした。「だめだ」と思い、箒でクモを外へ出そうとした。もちろん、クモも動いて、勝負はクモが隅で隠れて引き分けで終わった。少なくとも扉だけは開けたぞと思って、寝室に戻るとサソリモドキが毛布まで上がってきてしまっていた。その時、頭が真っ白くなって、今夜2つのボスに勝てないと自覚した。次の選択は撤退で短いソファで寝た。

 結局平和が戻るまではあと2日間かかった。クモはラウンド③で箒を使って外に出せたが、サソリモドキは気づかず毛布と洗ってしまった…
 この試練は八丈島へ住むための通過儀礼に感じた。これで最後の試練でしたらありがたいね。