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Asta の日記 DAY 31「火曜は大賀郷中学校へ」

 令和4年度は交流活動を目的に計26回大賀郷中学校に訪問しました。生徒に国際理解を深め、グローバルな視点を持ってもらうため、リトアニアの体験をさせたいという大賀郷中学校の依頼を受け、毎週火曜日の昼休みに学校に行き生徒と交流しました。

 昼休みはリトアニアの伝統的なダンスを踊ったり、お話したり、それぞれが好きなことについてお互いに発表しあったほか、日本とリトアニアゲームやリトアニアと八丈方言のクイズなどをしました。昼休みの間は学校の全員が参加できますが、リトアニアを研究テーマにしたグループとは大中ラボの時間に交流することもありました。より深くリトアニア文化に触れ、リトアニアのお菓子Tinginys(ティンギニース)を作ったり、リトアニアの生徒とオンライン交流もしました!最初はお互いの言語で挨拶して、両者が緊張していましたが、話せば話すほど色々な気になる話題、質問について意見を交わしました。リトアニアの学校は今後も大賀郷中学校と交流したいという声もありました!

 しかし、新しい経験したのは子供だけではなく、私もでした。この活動の中で「給食」は最もビックリしたテーマです!

「生徒が教室で食べること」ー リトアニアでは「教室の中で食べない」というルールがあって、給食を学食で食べることが一般です。私は小学生から高校生までずっと学食で食べてきました。

「先生が生徒と一緒に食べることー 12年間の学校生活の中では私は一回も先生と一緒に食事を食べることがありませんでした。基本的に先生と生徒が別々で食べると考えられ、逆に学食で生徒と先生が同じ空間で食べていたら、違和感があります。だから、先生も生徒も同じ教室で食べている大賀郷中学校の皆さんは非常に新鮮で、興味深い例です。

「生徒が静かに食べることー 同じ教室で静かに食事を食べている中学生を私は見たことが無くて、驚きました。初めて教室に入った時、皆は私を見て緊張して静かになったかと思って、自分まで緊張してしまいましたが、あとから「コロナだから静かに食べることになっている」という説明を聞きました。

「食べ終わったら歯磨きをすること」ー 食事後、いきなり一気に教室を去った生徒がどこに行くかと思ったら、まさか、シンクで集まって歯磨きしていました。リトアニアでは歯磨きはとてもプライベートで家でするものだと思われていて、職場も学校も歯磨きする人を見かけません。けれども、歯磨きした後のスッキリした中学生の姿を見て、そういう習慣がリトアニアの学校にもあれば良かったと思いました。

 火曜日の昼休みの交流はいつも楽しくて、リトアニアの文化を伝えること、また私が日本の学校生活を体験できることもとても貴重で、大好きな時間です。令和5年度、7月まで続く訪問も楽しみです!

Asta の日記 DAY 30「3月の海に挑戦した!」

 3月7日、温度:17℃、水温:19℃、時間:17時45分

アスタが海に入りました。

 この出来事はリトアニアの夏を思い出すほど暖かい春の日で始まりました。天気にインスパイアされ、せっかくだから当日にあった大賀郷中学校への定期的な訪問では「海」について話すことにしました。

 私は初めて2年前、10月上旬八丈島の海を見た印象で話を始めました:「どうして気温も水温も泳ぐに絶好な日なのに泳いでいる人がいませんか?」。てっきりこの時期に八丈島の海には危ない動物がいると思ってしまって海に近寄りませんでした。けれども、住めば住むほど、「海が危ない」の答えが間違えていたと分かって、本当の答えは私と皆さんの「もう/まだ泳いでいい」の感覚がすれ違っただけと分かりました。

 八丈島の海は、リトアニア人から見ると非常に暖かい海です。リトアニアにある、バルト海は平均的に冬:4℃、夏:20℃となりますが、八丈島の海は冬:19℃、夏:28℃程度です。つまり、八丈島の一番寒い時期の海がリトアニアの一番暖かい時期の海とほぼ一緒です。海が好きで、楽しみたいリトアニア人は基本的に水温が18℃以上になったら、海水浴シーズンがスタートと言います。もちろん、海も気温も寒かったら、さすがに寒くて入りたい気持ちになりませんが、20℃以上の水温は「贅沢」だと思っているリトアニア人が多いです。皆さんが夏の八丈島の海に入ったら、「お茶ほど暖かい」と言いそうです。

 そんな話を生徒たちにしたら、私の中に眠っているリトアニア人が目覚めて「海に行こう!」と言い出してしまいました。従って、昼休み家に帰ってタオル、水着を取って、そして仕事が終わってすぐ底土に向かいました。

 日が沈みかけている満月の底土に着いたら、どれだけ寒くても海に入ると覚悟を決めていました。最初の10秒は体が痺れるほどの懐かしい寒さを感じて、これは一ミリも楽しくないと思いました。しかし、最初はそういうもんだと分かっていて、気合で海に飛び込んで、泳ぎはじめたら非常~~~に気持ち良かったです!子供の気持ちになった私は喜んで、しょっぱい海の水はシュノーケリングを体験した夏を思いだして、元気になりました。

 海を出ったら、風邪をひかないようにすぐタオルを巻いて、車に乗って家で暖かいシャワーを浴びました。底土の泳ぎで体と精神をリフレッシュできて、これからも海に入ろうと思います。

 寒い海が与える楽しさと達成感もいいし、八丈島の海は数十分もずっと海の中でリラックスしながら海を楽しめることもいいと思います。皆さんも北欧の体と精神を鍛える泳ぎ方をやってみたかったら、是非今の八丈島の海に入ってみてください!もちろん、海に入る時には必ず、安全に十分気を付けてくださいね!

Asta の日記 DAY 29「フリージアまつりに向けて」

 フリージアまつりは、八丈島の観光に生かそうと1967年から始まり、今年で57回目、露地で咲き誇る35万株のフリージアとともに八丈太鼓、黄八丈着付け体験などの催し物を楽しめるイベントです

 2月21日~24日の間、ミス八丈島の仕事で、「フリージアまつりキャラバン」に参加しました!フリージアまつりキャラバンは東京都内の様々な場所を訪問して八丈島と「フリージアまつり」をPRするお仕事です。
 フリージアまつりを宣伝するために、関係各所への訪問、3つの新聞の取材、2つのテレビの出演をしました。フリージアまつりキャラバンでどんな経験をしたか紹介したいと思います。

フリージアまつりキャラバンのスケジュール

DAY1
2月21日(火)
  

○東京都島しょ振興公社
○一部事務組合
○東京諸島観光連盟
○東京七島新聞社
○小笠原観光局
○東京モノレール株式会社
○東日本旅客鉄道株式会社 JR浜松町駅
○東海汽船株式会社

DAY2
2月22日(水) 

○ANAあきんど株式会社 東京支店
○ビッグホリデー
○報知新聞東京本社
○中日新聞東京本社

DAY3
2月23日(木) 

○レインボーブリッジ
○東京タワー
○国立競技場
○渋谷
○東京駅
○浅草
○銀座

DAY4
2月24日(金)

○東京観光財団
○NHK首都圏局
○東京メトロポリタンテレビジョン株式会社

 DAY1は訪問が多い1日でした。訪問先に着いたら、皆さんに挨拶して、一足早い八丈島の春「フリージア」の花束を届け、記念写真を撮りました。こんな流れで他の訪問を行いながら、フリージアまつりと八丈島の魅力を伝えていきました。

島嶼会館での集合写真

 DAY2は訪問に加えて、2つの新聞の取材もありました。新聞の取材は初めてだったので、録音機、紙とペンを持っている取材者に少し緊張しました。けれども、取材者もプレッシャーを与えずインタビューを行ってくれたおかげで落ち着いて、取材を受けることができました。

東海汽船 山崎社長への訪問
東京観光財団様への訪問

 DAY3は撮影と都内の名所を巡りました。キャラバンを見にきてくれた東京の人々とも交流できました。フリージアの花束+黄八丈で首都を歩けばたくさんの注目を集めるので、周りの人が興味を持って、お話しに来てくれたり、一緒に写真撮影を求められたりと、ミス八丈島が目立つことは八丈島のPRにつながると強く感じました。

 渋谷では、人の数が一気に拡大して黒色の服を着ている人混みで黄色の着物がさらに目立ちました。あらゆる方向からくる人の視線や自分に向かわれた多数のカメラを感じながら渋谷を歩くのは難しかったが、その分たくさん八丈島をアピールできたのではないかと思います。会いに来て応援してくれた皆さんありがとうございました。

 DAY4は訪問、新聞とテレビの取材がありました。テレビ取材は少し不安もありましたが、実際に大きなカメラのレンズが自分に向かわれたら、アドレナリンが出て、集中力が高まり、うまくフリージアまつりを紹介できたと思います!

テレビの取材を受けました!

 バラいろダンディの生放送は、ゲームのラスボスのような気持ちでした。番組のMCの一人で「温泉で気持ちよく。マナーでさらに気持ちよく。八丈島大使」でもある原田龍二さんにフリージアの花束を渡して一言を話す内容ですが、「生放送」ということで十分ドキドキしました。出番の5分前にスタジオに連れていってもらったら心臓が飛び出てしまうかと思いました。しかし、スタッフの明るい雰囲気と優しい原田さんが気持ちを落ち着かせてくれ、楽しく生放送できました!ありがとうございました。

 夜の10時にホテルに帰ったらこの4日間は色々な人に会えて、たくさんのチャレンジをチームで乗り越えられ東京のフリージアまつりキャラバンが大成功だと思いました。当時の様子をミス八丈島の公式インスタグラム「miss8jojima_official」で発信しているので見てくださいね!さー、明日からはじまるフリージアまつりへ皆さんお待ちしております。皆さん来てね!

Asta の日記 DAY 28「一流ドライバー」

 最近「ドライブは楽しい」と感じるようになりました。晴れた日に車に乗って、スピーカーで音楽を流して、底土、大阪トンネル、南原千畳敷などへ向かうと気持ちが良くなり、ヴァケーションの気分になります。今までは車で移動することは「必要である」、「AからBまでたどり着くための手段」でしたが、その内に目指す目的地がなくても、ぐるぐると島を運転することが楽しく感じてきました。

 リトアニアの生活では車が非常に便利なものです。地下鉄がないリトアニアでは、車、バスや電車が主な移動手段になります。私の場合では高校生になってから20+kmで離れている首都のVilnius(ビィリニュス)に通うことになって、朝-自家用車と夜-路線バスで移動していました。大学生になってから通勤時間を減らすため自分で免許証を取って運転することになりました。けれども、国で交通量が一番忙しいビィリニュスは初心者ドライバーの私にはハードルが高い始まりでした。家を出てすぐ始まる90km/h速度の森林の道路、しばらくして交通標識だらけに変わる道や朝-夜の雑踏…周りに注意しつつ集中力をマックスにして、運転する時音楽さえ聞いていませんでした。数年間賑やかな道を走り続けたら、気が付いたら緊張感が消えつつ、自信もつきました。そのような道路に育てられ、ちょうど「初心者ドライバー」を卒業したと感じた頃、八丈島に行くことになりました。

 来島して、坂や雨の日が多い八丈島にも車が必要と分かりました。私が運転することになった車はリトアニアで見かけない軽自動車でした。その車はオートマチック車で、ハンドルが右側にありました。そして一番大きく感じた違いはクラッチがなかったことです!今まではマニュアル車しか乗ったことがなかったため、ブレーキをクラッチのつもりでよく踏みました。車以外慣れていないことがたくさんあって、標識で書かれている漢字の意味を分からなかったり、リトアニアのルールに従って昼間でも常にライトを付けたり、オートマチック車の「2」と「D」の違いを知らなかったり、車に乗ろうとした時、助手席から入ろうとしたりもしました。

 

 しかし、一番大きな不安を感じたことは日本が左側通行であることでした。リトアニアは右側通行なので、間違って反対車線に入ったら大変なことになると思って、最初の数日間は徒歩で島を回って、頭の中で運転シミュレーションをしました。けれども、実際に車に乗ったら、「あれ?待て、どっちがどっち、日本は右、リトアニアは左?(答:日ー左、リー右)」と頭が完全に混乱し、考えれば考えるほど分からなくなりました。その悩みをお母さんと電話で相談して、日本だと「真ん中の線はドライバー席の右側にあるべき」というルールを作りました。毎回呪文をかけているように「真ん中の線は…」、「…ドライバー席の…」「…右側にあるべき」と繰り返しながら進みました。

「真ん中の線はドライバー席の右側にあるべき」

  運転すればするほど島の運転に慣れ、一ヶ月もかからず普通に走れるようになりました。1年で国際免許証が切れた時は移動の自由がほしくて、東京府中試験場で運転免許試験を受け、合格しました!リトアニアでも八丈島でも最初は運転することが難しかったですが、努力を尽くしたごほうびはどこでも行ける自信と音楽を聞きながら、綺麗な島をドライブすることの楽しさです!

Astaの日記 DAY27「アスタの買い物術」

 私は日本で食料品の買い物をするのが好きです。陳列棚に並んでいる食材を見ると「これは何なの?」「これをどうやって、何に使う?」、「これはどうやって食べる?どんな味がする?」という気持ちによくなります。

 最初はあんまりにも何を食べたらいいか分からなくて、困っていましたが、徐々に自分の毎回の買い物リストができて、野菜、果物、魚は私のカゴに詰め込む中身になりました。そして買い物をすればするほど、どこで何を買うか自分の好みを見つけました。

 しかし、商店に通いながら不思議に思ったことはたくさんあって、いくつかリストアップしました。

1.船が連続で来ないと日常商品が買えなくなることです。たまにあるものだと聞いていましたが、実際に自分であっちこっちですっからかんの棚を見たら、「お金があるけど、半分空っぽの商店で買うものがない」と子供の頃おばあさんがソ連時代について話したセリフが浮かびます。

2.卵が冷蔵庫の中ではなく、普通の棚に置いてあることです。島で卵を買おうとしたら生ものである卵は何週間もそのまま置いてあって大丈夫なのかという心配を感じました。そういう条件で売られている卵をあまり食べたくない時期もありましたが、調べてみたら、冷蔵庫に限らず常温保存の方法もあると分かって買うようになりました。このきっかけで卵についての知識も増えました(笑)。

3. あさぬまと八丈ストアのお弁当割引です。仕事終わりに、家に何もない日、割引がついているお弁当はなかなかありがたいことです。とくに50%の割引ですね。けれども、八丈ストアで18:30になったら普段表に出ない日本人の戦いモードはスイッチオンになって、皆さんは頑張って狙っていたものを取ろうとします。その姿は高校生の時乗っていた一日に何回かしか来ない路線バスの様子を思い出されます。乗ろうとしていた人々の熱意は八丈島にも感じてビックリしました。

4. リラックスできるレジの段階です。リトアニアとヨーロッパの多くの国ではレジの定員さんは買い物をスキャンしたら物をカゴに戻さず、滑り台のようにレジの向こう側に軽く押します。そこから自分で物を取ってかばんに入れなければなりません。一方、八丈島では買い物カゴをそのままレジの定員さんに預けて、定員さんが丁寧に重さと形を考えながら商品を並べてくれることはらくで感謝を感じます。

 この4つと他の細かい違いは私にとって新しい発見でしたが、皆さんから見れば、カゴを使わず商品を手だけで持っている、知らない人に「これをどうやって食べるんですか?」と質問等しているアスタも少し変わった風にみえたりするかもしれません。けれども、そういう所こそ、文化の違いを気づく舞台になります。商店で感じる違いや新しい刺激は食料品の買い物が好きになった理由です。皆さんも「これはどんな味がする?」気になる商品がありませんか?今まであまり食べなかったものを食べてみたら面白い発見がある思います。リトアニア産の限定チーズ「ジュガス」はいかがですか?!

Asta の日記 DAY 26「島のヒーロー達の新年」

 今年の仕事始めは朝起きていつもの格好で仕事に行くのではなく、八丈町の消防団員の青色とオレンジ色の活動用服を着て町役場に向かいました。そのきっかけは出初式でした!

 一ヵ月前「アスタ、出初式に参加する?」と聞かれた時、そもそも出初式は何なのかと思ったことがありました。調べてみたら江戸に根付いた「仕事始め」の儀式(出初式)は現在の消防の力を示すことで町民を楽しませながら消防への信頼や理解と火災予防に対する意識を深める行事になっています。リトアニアの「消防士の日」は似たようなものだと思いましたが、「消防の力」には「消防団」も入るものだとは島に来てから初めて知りました。

 リトアニアの消防団員は数少なく、消防団の概念を知っている人がわずかです。だから私も、八丈町の様々な地域にある消防団を見た時、消防本部に間違えてしまって、実際にそれは消防団だと分かったら、ビックリしました。消防士より約8倍島にいる消防団員は自分の意志で火災現場、救助現場や行方不明者捜索に参加している島民の人々です。すごいと思いませんか?間違いなく消防団員は町の「消防の力」になっていて、出初式には消防士と共に不可欠な存在です。

 ということで私は消防団員のパレードに参加することになりました!けれども、お正月の前後上京することになって訓練に出席できず困っていました。プライドを持って自信がある姿を皆さんに見せようと思ったら、自分で練習するしかありませんでした。そこで消防士である友達にお願いして特訓をさせてもらいました(ありがとう先生!)。

 役場から大賀郷中学校へ向かっている内に「大丈夫なのか」という緊張感もありましたが、仲間の3年ぶりの出初式の気持ちに気づいたら、私も楽しみのドキドキの気持ちになりました。いよいよ開会式が始まったら、色々な方々が登壇する時に「気をつけ」と「休め」の号令に従って手指まで綺麗に動こうとしました。冷たい風に当てられて、背中が痛くなっても形を崩せず皆さんで消防団員のプライドを持って頑張りました。

 


 消防団員と消防車両のパレードが終わったら消防団員の操法大会が始まりました。私のチームはサポート役で出ませんでしたが、残りの五つのチームで選ばれた代表者は順番に競争することになりました。皆さんのびしっと伸びていた手先、スムーズに出されたホース、一気にターゲットに当てられた水や響き続けた勢いよくの声は訓練してきた努力の結果でした。

 操法大会の優勝のチームを発表してから、二つのターゲット(くす玉)を持ち上げたトラックが来て、全分団による一斉放水が行われました。くす玉を割れたらお菓子でも落ちてくるかと思ったら一個ずつ「謹賀新年」と「八丈町消防団出初式」の言葉がほどけてきました。ターゲットが割られた時の観客の「わぁ!」は水の色が変わってきた瞬間にもう一度強くなりました。

 最後にもう一つのサプライズがありました!お餅を運んでいる各地域の消防車が真ん中に来て、根気よくずっと横で見ていた観客が中央に集まりました。儀式に招かれていた方々に餅まきされて、楽しくお餅をキャッチしようとしている皆さんを見て私も混ざりたいなあ~と思いました。その気持ちが誰かに気づかれたようにお餅は私の方までも飛んできて、嬉しく頂きました。

 お餅が配られて、消防車が町内でパレードに行かれて、出初式が終わりました。消防団員と消防士がお片付けを終えたら私の初めての出初式も終了となりました。消防と町を繋ぐイベントがやはり大事だと思いながら、今回八丈町の消防団員の力も見られました。外国人消防団員としてできることが限られているけれども、皆さんと同じ訓練を受けて色々なことをできるようになりたいと思います。町民の皆さんも毎年強くて綺麗に新年を始めようとしている消防を応援してくださいね!今年の皆さんはかっこ良かったです!



Asta の日記 DAY 25「植物公園で毎日のピクニック」

 皆さん明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします。

 皆さん、昼ご飯をどこで食べていますか?自分の職場で聞いてみたところ、多くの人が職場の中、自宅か店で昼ご飯を食べています。それはコンクリートと高いビルの都会でしたら普通の答えに聞こえますが、自然が豊かな八丈島の場合はもったいないと感じます。

 そう感じた理由は、リトアニアでは天気がいい日でしたら、たくさんの人が外で食べようとしているからです。木の下にあるベンチも、頑張って外へ出されたレストランの机と椅子も人々が昼ご飯を食べている場所になっています。八丈島に来る前、職場の近くに広い公園があるとわかった時「ラッキー!」だと思って、そこで昼ご飯を食べることを楽しみにしていました。

 初めて公園で食べた日は机があるロケーションを探しました。東エントランスから入って主要な道を歩いたら「ビロウ広場」という所で八丈富士が見えるスポットを発見しました!しばらくの間そこで昼ご飯を食べていましたが、いきなり雨が降ってくると逃げなきゃいけないことは少し困っていました。そうならないように、他の食べる場所を探しました。そうすると植物公園は迷路のような公園で色んな道が繋がっているとわかりました。公園で食べるだけではなく公園を歩くことも楽しみになりました。緑のカーペットのような道、海と八丈小島が見えるポイント、温室の「タビビトの木」は好きな通いスポットになりました。植物公園でのご飯と散歩でリフレッシュしてから仕事に戻ったら、午後眠くなることもありませんでした。

 春頃になってから公園で一緒に食べる仲間ができて楽しかったです。しかし、夏になってから暑さにやられました。夏は暑くて、昼間は日陰がある所じゃないと気温に耐えられませんでした。海であるいは、家の中で食べる日が増えました。そのまま室内で食べる楽さもわかって、また秋に入っても家で食べることが多かったです。

 今の私は家で食べたい日も公園で食べたい日もありますが、最近公園で食べたい気持ちがまた強くなってきています。かけがえのないピクニックのような植物公園の昼休みを皆さんにもぜひやってみてほしいです!もう少し暖かくなったら一緒に公園で食べましょう!

 私のお気に入りスポットTOP3はここよ!

東京都離島住民航空割引カードの手続きについて

島民割引カード(見本)ANA羽田ー八丈島便や東京愛らんどシャトルで島民割引運賃を適用するための東京都離島住民航空割引カード(以下、島民割引カード)の申請がオンラインで手続きできます。
また、発行した島民割引カードは申請者宛に郵送(ミニレター・追跡なし)でお届けします。

※島民割引カードは、お手元に届くまで1週間程度(土日祝除く)かかります。予定がある場合はお早目の申請をお願いします。
代理人(同世帯の親族を除く)による申請は委任状を必要とするため窓口申請のみとなります。
住所や氏名の変更の場合は、八丈町役場2階 企画財政課または樫立・中之郷・末吉出張所までお越しください。

【オンライン申請 入力フォーム】

【問い合わせ】
企画財政課企画係
電話 2-1120
✉メールでの問い合わせはこちら

Asta の日記 DAY 24「青ヶ島」

 ちょうど先週、風が暴れている朝の9時ごろ、八丈空港に着きました。今回の行き先は伊豆諸島の一番離れている島、青ヶ島でした。青ヶ島に行く理由は旅行ではなく、仕事で青ヶ島村小中学校の国際交流事業のためでしたが、荒天の中で無事に行けるかという疑問を感じました。徐々に集まってきた搭乗者と異常なしという受付の動きで「ヘリが飛ぶ」ことを予想しました。10時ごろ、12月から運航している新しいヘリに乗って20分後青ヶ島に着陸しました。

 青ヶ島に着いたら迎えが既に来ていて、一緒に学校に行きました。担当の先生と挨拶して、民族衣装に着替えたら、本番の時間でした。当日の構成はアスタの発表、一緒に給食を食べ、生徒のスピーチとリトアニア・日本ゲームでした。そんな流れで3時間一緒にいて、お互いのことについてたくさん勉強しました。ものに関心を持っている生徒、特別にリトアニア料理のメニューを作った学校の調理人、リトアニアのモチーフで作られた学校の飾り、事業が実施できるように頑張ってくださった先生方、慣れていないものに挑戦しようとした皆さんの努力に感動しました。

 交流イベントが終わってから、学校の先生に島案内されました。青ヶ島の有名なカルデラは写真と比べ物にならなくて、びっくりの音が出るほどの風景でした。島の奥にある丸山のひんぎゃ、水蒸気の噴出する穴も非常に印象的でした。それ以外、ドライブしながら窓から見えた植物も今まで見たことのない雰囲気を作っていました。

 青ヶ島では普段どのような生活をしているのか、島に来る前から気になっていました。それを聞いてみると店と飲食店が限られるので、自分で料理をすることが多いそうです。食材、必要なものはオンラインで買うことが多くて、ヘリと船が到着するのが待ち遠しいそうです。郵便、電話か実際に会うしか外の人と繋がる機会が昔はなかったけれども、今はインターネットで他の人と繋がることができるから、それは助かるという話を聞きました。

 八丈島から見られるけれども、どこか遠いように感じている青ヶ島が今回身近に感じられるようになりました。青ヶ島を知ることで八丈島のこともよりよくわかるようになった旅になりました。

Asta の日記 DAY 23 「歌姫」

 私は歌うことが好きです。それは音楽好きな家族に育てられたのが大きいと思いますが、今まで人前で歌う経験を片手の指で数えられるほどしかありませんでした…ほとんどの時間は部屋の歌い放題でしたが、そこではある日、人の心を動かす歌を送りたい夢が生まれました。その夢はきっと一生諦めない夢で、八丈島に来てから叶い始めました。

 凄い偶然で、島で出会った人々の内の一人はバンドをやっている人でした。「次にクリスマスのテーマで伴奏するから、見に来て」と誘われた時に、「私もクリスマスソングを歌いたい!!!!」というの心の声が目覚めて、「私に歌わせてください!」と無理なお願いをしました。「いいよ」と言ってくれたバンドの皆に今も感謝しています。去年のハンドメイドクリスマスではクリスマスソングを送ることができ、今後の生活に強いインパクトを与えた経験になりました。同時に、そのきっかけで初めて島の音楽の世界に触れることできました。島で音楽に興味を持っている人がこんなに大勢いるとは思いませんでしたし、音楽を作っている人、楽しんでいる人の割合が多いと感じ、ここは音楽が好きな島だと判断しました。

 数ヶ月後、もう一つのパフォーマンスをポットホールで発表しましたが、その後、しばらくの間活動中止になってしまって、車の中で歌っている日々が続きました。次はいつ歌えるかと悩んでいるうちに、意外な機会が現れました。仲のいい同僚に合唱に誘われて、スキルが高い合唱の皆さんに会いました。今年10月にあった文化フェスティバルに向けて、数ヶ月間頑張って日本語、フランス語とラテン語の曲を練習していました。最初はメンバーのレベルが非常に高くて、追いつくには時間がかかりましたが、舞台に立った時、チームで感情を込めた歌を発表することができて非常に幸せに感じました。

 文化フェスティバルが終わりましたが、現在はまたソロと合唱で歌う準備をしています!皆さんに気持ちを込めた歌を届けるまでにもう少し時間がかかりますが、それまでは今週の日曜日(12月11日)13:30からおじゃれホールで「バレエの第5回発表会」があります。そこの第2部ではラトビアとリトアニアの伝統的なダンスを見られる機会があります!まずはそこで会いましょう!