企画財政課」カテゴリーアーカイブ

Asta の日記 DAY 22「一目ぼれの温泉」

 リトアニアにはサウナの文化はありますが、温泉の文化はありません。4年前に初めて日本で温泉に入った時、マナーをよく知らなくて緊張しましたが、温泉とは不思議で、楽しいところだと分かりました。それ以来、日本で旅行をする際に、事情が許せば、いつも温泉巡りをするようにしています。とはいえ、せっかく八丈島に住んでいるのに、温泉にあまり行っていないです。それはなぜでしょうか?

 その理由は、大きく3つです。1つ目は島の温泉が熱いのではないかという心配です。以前、ある温泉で水の温度が40度を超えていたのに、温泉に頑張って入ろうとしましたが、熱くてやけどをしたことがありました。2つ目は実際に温泉が近い所に住んでしまうと何となく行かないことになってしまいます。皆さんも、温泉に行くのが手間がかかって家のお風呂にしたことがあるでしょう?3つ目は正直言いますと、人前で裸になるのがシャイになる傾向です。皆さんが私のこと知っているから、それは少し気にして、行かなかったことがあります…けれども!最近、私にもピッタリ合う八丈島の温泉に入ることができました!それは裏見ヶ滝温泉です。

 来島してから滝が見える温泉の話を聞いて、気になっていましたが、しばらくの間故障中で入ることができませんでした。その内に裏見ヶ滝温泉のことを忘れてしまいましたが、最近、たまたま道を通る時に故障中の看板が消えていることに気づきました。気になって、人の気配がない駐車場で車を止め、裏見ヶ滝温泉の下り階段を初めて歩みました。そうすると美しい温泉が目の前に現れました。木の構造と岩の壁が温泉の空間を作り、岩から流れてくる流れはぽかぽかの温泉です。この雰囲気で今すぐ入りたい気持ちになりましたが、実際に入ったのは準備をしてから次の日でした。「水は熱いのかなあ?入れるのかあ?」と心配をしましたが、数分が経ったら、全身が入ったまま自然なビューと滝の音を楽しんでいました。

 結局、裏見ヶ滝に一目ぼれしてしまって、よく行っています。そのおかげで坂上に行くことが増えて、他の坂上の魅力を探そうともしています。皆さんのおススメのスポットがあれば教えてくださいね!

Asta の日記 DAY 21 「来島1年を振り返って」

 八丈島に来てから一年が経ちました。八丈島に来る前は海外に住んだことも、日本の別の場所に住んだこともありましたが、八丈島は人生で初めての島です。人生で初めての経験で、島の一年間はどうだったか、振り返ってみたいと思いました。

1. 日本で働く

 来島する前に、リトアニアの会社で働く経験が短いながらもありましたが、日本で働くのは初めてです。日本の働き文化についてメディアや知人などから少ししか聞いていませんでしたが、ギュッと近くくっついている机、よく回る回覧、はんこや名刺の文化、企画や書類作りなどはカルチャーショックと言えるぐらい未知の世界でした。それ以外、同僚と上司との触れ方、問題の解決方法なども、分からないことがよくありました。働き文化に慣れたとはまだ言えませんが、仕事の分担、スケジュールや責任のことについてはたくさん勉強になっています。

2. 時間の流れ 

 海の中にある島ならきっとゆっくりでのんびり日々を過ごせると思っている人が多いかと思いますが、私の場合そうでもない日が多いです。確かに、買い物まで30分かかるような道もなく、「渋滞」や「2時間かかる出勤」は島で聞こえない言葉です。無駄にならない時間を皆さんが好きに過ごせることができます。時間の余裕があるからこそ、夜、仕事後で行われているスポーツや音楽の活動は平日でも多いです。それに参加しようとしている私も毎日イキイキしています。

3. 食事

 Astaの日記DAY 13を読んだ皆さんなら、もう知っていると思いますが、半年前ぐらいずっと食事に困ってきました。しかし、そのおかげで、自分の胃袋に何が合うか意識的に探してきました。結果的に揚げ物、めん類、おやつと夜遅い食事は私に合わないとやっとわかってきました。その代わりに食べられるようになりたいものを少量で一年間の間食べてきた結果で食べられる料理が結構増えました。お米も食べられるようになりました!

4. 運転

 道路を走っている金髪の人を見かけたことがあったら、それはきっと私でした。右側通行のリトアニアの運転は左側通行の日本と根本的に変わらないです。しかし、初めて八丈島で運転した時、私も隣に座っていた同僚も不安な顔で道路に出ました。とは言え、運転が好きな私は運転しやすい八丈島の道路にすぐ慣れて絶景を楽しみながら走りました。国際免許証が切れてしまう前に、東京で本物の日本の運転免許も取りました!2回も上京して、府中運転免許試験場で新品の免許を手に入れて、島だけではなく、日本中で運転しています。

5. 日本語

 八丈町で毎日、日本語だけを使う生活をしているおかげで、来たばかりの時に比べて上達しました。もちろん、日本語で分からない、言えないことはまだありますが、そういう時はなるべくドンマイの考え方で優しい日本語で再チャレンジしています。そういえば、島に来て、初めて5年間ずっと使ってきたおかしい日本語を直してくれた人もいました。例えば、私の好きな「そうだ」は「そうよ、そうだよ」を意識的に使うようになりました。

6. 気候

 常春の島だと言われている八丈島はその名前の通りだと思います。しかし、雨と風が多い日々に慣れるのは時間がかかりました。数回ひどい雨に濡れてから反省して、1時間ごとに天気予報を見たり、予定を工夫したりすることを学びました。「天気が悪い日」があるとしても家の中でリラックスできる時間が取れるので、雨の日もいいと思えるようになりました。どちらかというと雨の日より、ずっと晴れで、熱い夏の日々の方が我慢できない天気になっています…

7. 趣味

 島ですることがいくらでもあります。畑、釣り、山登り、海の遊び、スポーツ、音楽、アートやハンドメイド・クラフトなど、好きなことをやって、発表している島民はこの島の生命力でもあります。来たばかりの時、今までやってきたダンスとスキーは難しくなったので、やることがなくなりました。しかし、休みの時間をそれぞれ楽しく過ごしている人が多く、その中に入れてくれたことで私も新しい好きなことをたくさん見つけました。一年たって、私の趣味のリストはこうなりました:1.散歩2.シュノーケリング3.卓球4.歌とダンス 5.読書。

 この一年間の島暮らしは毎日を大事に思っています。私の日常が問題なく、スムーズ、心配せずできたというわけではありません。いっぱい間違えて、勘違いして、やり直して、再チャレンジして、また失敗して、周りに頼りや助けられながら進めてきました。苦労した部分も幸せな部分も私を成長させた経験です。これからも前向きに前に進んで、よりいい島生活を体験していきたいと思います。次の目標はクレジットカード作り!

Asta の日記 DAY 20 「私の鎧」

 今月の15日に飛行機に乗って東京に行った。ミス八丈島の仕事で板橋区民まつりに行くことになって、まつりでは主に3つの仕事があった。①まつりの開会式に町長と一緒に出席すること、②新聞の取材、③八丈島物産展でお客さんにアピールして八丈島に興味をもってもらうことだった。1ヵ月前、愛らんどフェアで同じような物産展に出席したから、今回はどんな感じになるか想像できた。

 2日間で開会式も新聞の取材も無事に終わって、八丈島の物産展にいった。ブースまで来てくれたお客さんはだいたい販売されている商品、八丈島かミス八丈島に興味を持って近寄ってくれていた。その時、相手の興味を聞きながらブースに並んでいる特産品を勧めたり、観光の見どころの案内や観光の説明等をした。今まで島のことを知らなかったお客さんがけっこうきてくれたから、紹介できることがたくさんあった。それに、愛らんどフェアと違って今回は黄八丈で島をPRすることができた!島外のイベントで黄八丈を着ると戦士が鎧を着るように、まだ磨けるところがあるとしても、島のPRという戦いでは負けない気分になりきる。だから、イベントの状況が許せばミスは黄八丈を着ることにしている。

 しかし、今回黄八丈を着ることにはチャレンジがあった。現場の着替え室には着付けに不可欠な鏡を用意することが困難だった。それを事前にわかっていたので仲間と二人で着物を着ることにしたが、やはり心配していた。当日、着替え室に行ったら、机、いす、ホワイトボードぐらいしかなかった。普通の会議室。仲間を待っている間に、どうやって着物を着るかと悩みながらホワイトボードが少しだけ反射していることに気づいた。それを活かして、仲間の到着までに、ホワイトボードを見ながら着付けを始めた。最初は順調にいけたが、着物の長さ、真ん中の線、エリの位置等の調整に困っていた。ありがたいことに仲間がすぐに来て、私に手伝ってくれた。どうにか、二人で長さと真ん中を調整でき、残りのステップをクリアしてイベントに行けた。

 今まで練習していた環境は必要なものが全部揃っていたけれども、鏡がなくて一人で着付けをするのがまだ私には難しかった。仲間とのチームワークのおかげで着物を綺麗に着れてイベントに参加できたが、次は余裕を持つためにプランB、C、D等をしっかり持って、黄八丈の鎧を着る儀式をスムーズに行いたい。

Asta の日記 DAY 19 「八丈島の洗礼」

 島に住むうえでは、島の生き物になれる必要がある。はじめて家の中でヤモリを見かけて、大騒ぎになった時に比べて、11ヶ月間で色々な虫に出会って随分落ち着いてきた。けれども、気候が寒くなりつつ、外のものが暖かい家の中に避難している。その証拠に、最近もとある試練があった。

 その試練は朝の2時に変な音に起こされることで始まった。ベッドから飛び出して、電気をつけたら近くにサソリモドキがいた。驚いて、部屋から出たら「今のタイミング?どうしよう?寝たいのに」のことしか考えなかった。外でしか見ていなかった虫は家の中では余計にでっかく、怖く、不親切にみえた。夜中疲れて、私が一番弱い時にサソリモドキを相手にしなきゃいけないなんて…酸と匂いの特徴についても聞いたことがあったから、近寄る勇気がなかった。疲れで頭が回らなくて、とりあえず、窓と扉を開けることにした。

 しかし、扉を開けようとした瞬間また何かが動いた。気のせいかと思って電気を付けたら手の平の大きさほどのクモがいた。叫びたい気持ちを飲み込んで(近所迷惑だめ!)、自分の家の中で人質になった気がした。「だめだ」と思い、箒でクモを外へ出そうとした。もちろん、クモも動いて、勝負はクモが隅で隠れて引き分けで終わった。少なくとも扉だけは開けたぞと思って、寝室に戻るとサソリモドキが毛布まで上がってきてしまっていた。その時、頭が真っ白くなって、今夜2つのボスに勝てないと自覚した。次の選択は撤退で短いソファで寝た。

 結局平和が戻るまではあと2日間かかった。クモはラウンド③で箒を使って外に出せたが、サソリモドキは気づかず毛布と洗ってしまった…
 この試練は八丈島へ住むための通過儀礼に感じた。これで最後の試練でしたらありがたいね。

Asta の日記 DAY 18「リトアニア人のミス八丈島」

Labas、 こんにちは。

 八丈島に住み始めた時、島のことをまだほとんど知らなかったです。島民の一人として、八丈島の国際交流員としてそれはいかんと思って、島のリズムを知るため、たくさんの人と話したり、私が好きなスポーツや音楽をしたり、島を探検したりしました。

 その内に徐々に自分の中で八丈島のイメージが出来上がって、立派な自然と人の島を発見しました。けれでも、島のことを島外の人と話したら、八丈島を分かる人が少ないことに気づきました。それは私の母国のリトアニアの状況に似ていました。八丈島もリトアニアももっと色々な人に知ってもらいたいと思って機会が現れたら両方の話を人に話そうとしていました。

 5月に、机の上に「次のミス八丈島の応募」の回覧が来たら、「あれ、これってチャンスじゃない?」と思いました。更に島を深く知るチャンスだけではなく、私が住んで見つけて来た特別な八丈島をもっと色々な人に知らせるチャンスに見えました。応募条件は島を好きで、笑顔で島をPRする人です。条件を満たしているか?満たしています!やりたい?やってみたいです!それで応募しました。7月28日に発表会で皆さんに挨拶して、8月1日から正式に第67代ミス八丈島になりました。

 8月から黄八丈の着付けや島外のイベントの準備を始めました。実際にイベントで黄八丈を着てたくさんの人々と八丈島について話したら、島の魅力を伝えるやりがいを感じました。島生まれ島育ちではない私はどうしてもわからない島の面もありますが、多くの観光客に島を知ってもらい、来てもらえるようにたくさん勉強して、楽しみながら取り組みたいです。皆さんも自分が知っている八丈島について教えてくれたら嬉しいです。私たちが体験している八丈島をたくさんの人にも経験してもらいましょう!

また今度、IKI!

Asta の日記 DAY 17 「アスタの毎日散歩」

Labas、 こんにちは。

 私は歩くのが好きです。リトアニアにいた時、散歩することは私の毎日の習慣でした。外に出ると体だけではなく、頭と心までリフレッシュできていました。きっとすぐ隣にあった数十キロも続いている松の森林はそれに大きな影響を与えました。八丈島に来てから森の中の散歩をできなくなりましたが、八丈島にしかない景色を思い切って味わっています。

 島に来たばっかりの時は歩いて生活をしていました。車や自転車がなくても、歩いて島を知る事は非常に楽しかったです。道に迷ったり、今まで見たことがなかった風景を発見したりすることで島の地図が頭の中で少しずつ出来上がりました。歩きやすい道もあり、坂を上っていけない道もあり、またはUターンして、行きたい方向と全然違ったりする道もありますね。それでも、八丈富士と三原山はいい目印になり、時間がかかっても自分の居場所を把握できます。この二つの山と横側から見える海は島ならの景色で、私の目をいつも楽しませてくれます。どんな方向に行っても絶景で、気持ちいいです。

 普段は自然の中で歩きますが、たまに町の奥、住宅がある所にも行きます。その時あるものを見かけたら、気持ちよくなります。それは、挨拶の看板です。書かれている言葉は看板によって変わりますが、「笑顔で挨拶しましょう」というメッセージが私は気に入っています。看板の言う通りにしたら、同じ道を歩いている人が「知らない人」から「私と微笑みながら挨拶してくれた人」になって、気づかない内に一日は前より明るくなります。というわけで、道で出会った人と挨拶することが散歩の楽しみの一つです。

 しかし、私の散歩姿を見た人からは、私があまり楽しめていないように見えるときもあるようです。それはおそらく、私が車の音や、視線が気になっている時だと思います。
 外国人の私の姿は、人通りの少ない八丈島では(もしかしたら日本の他の場所でも)目立ってしまいます。そんな時は、道端で見かけるイタチのようにササっと隠れる…まではしませんが、ポッドキャストや音楽を聴きながら、前に集中して、他のことを考えずに歩きます。「車で通った時、アスタに挨拶しようと思ったが、少し怖い顔をしたからやめた」と言われたこともあります。でも、誤解しないでくださいね。声をかけてもらえたら嬉しいですよ!

 私の日課の散歩を八丈島でもすることで、新しい人、自然との触れ合いが広がりました。これからも歩き続けて、リフレッシュや近所の人と仲良くなっていきたいなと思います。もし私を見かけたら、ぜひ声をかけてくださいね!

IKI またね!

Asta の日記 DAY 16 「9月1日は新年度?」

Labas、 こんにちは。

 明日からまた学校が始まりますね!

 夏休みが明けるのは嬉しいですか、悲しいですか?16年間リトアニアの教育制度で過ごしてきた私は、両方の気持を感じたことがあります。小さい頃は夏休みが長く感じて、早く学校に戻りたい気持ちが強かったです。けれども、年を取れば取るほど「休みがもう少し長く続いてほしい」気持ちが増えていきました。とは言っても、どちらの気持ちになるかは、夏休みの過ごし方次第でした。

camino entre el campo de flores amarillas
UnsplashのRaquel Pedrottiによる写真

 八丈島の夏休みと言えばやはり海ですね。身近にある海は暑い日々からの救いになります。海遊びは夏休みの大きな一部だとしても、他にもやることがたくさんあります。だいたい1ヵ月半の間授業が行われませんが、部活動、宿題や他の課題があり、完全に学校から離れることはありません。一方、リトアニアの夏休みは6月中旬から始まり9月1日まで続きます。日本に比べて+1月の休みになります。2ヵ月半の間学校は休みになり、部活動も、宿題もありません。では、その期間子供は何をしていると思いますか?

 普通の日常生活にある友達、趣味、外や室内遊びの過ごし方以外、リトアニアには大きく三つの夏休みの過ごし方があります。一つ目はサマーキャンプです。サマーキャンプはリトアニアで非常に人気があり、子供は興味がある分野(自然、宇宙、音楽、スポーツ等)を選んで、集中して取り組むプログラムや一週間泊まり込みのキャンプに参加します。サマーキャンプの場所は国内、国外の両方があります。夏休みの間2~3つのキャンプに参加することも珍しくありません。二つ目に、日本と同じように数週間祖父母宅で過ごすことも一般的です。地方にあるおじいさん、おばちゃんの家に行ってそこでのんびり時間を過ごしています。最後に、夏休みは子供が長く休める時期だとは言え、親も長く休む傾向があります。2~3週間の休みを取って、家族で旅行したり、サマーハウスに行ったり、水遊びしたり、友達と過ごしたりすることが多いです。どれにしても、夏の間イキイキとした雰囲気がよく感じられます。

grupo de mujeres de pie en el campo de hierba verde durante el día
UnsplashのArtem Kniazによる写真

 しかし、どうしてリトアニアの夏休みはそんなに長いのでしょうか?私もそれを疑問に思ったことがありますが、その理由は気候にあるのではないかと思います。昔からリトアニアは9月の初めから5月ぐらいまで寒い季節でした。春は自然が目覚めて、気候が暖かくなってくるけれども、夏に入ってから本当の盛りになります。日々が長くて、暖かくなって農業に適した季節です。農業の収穫で忙しい夏の間に子どもたちの手を借りて、家の手伝いをさせることが多かったのです。秋が近寄ると少しずつ寒くなり、収穫の仕事を終え、少しずつ室内の生活に戻ります。昔の生活を決めていた気候は今もあまり変わらず、同じサイクルを繰り返しています。寒い時期を乗り越えるために食糧を貯える必要はなくなったけれども、夏の間に心や体をチャージする必要は残っています。寒いと暑いの間にある秋は自然と社会的な区切りになります。そして9月1日が代表的な変化の区切り点になっています。

 日本は4月になると学校も社会も新年度に入ります。リトアニアには、公式な「年度」という考え方はないのですが、夏休み明けの9月1日が学校としては新年度の始まりとなり、進級や進学の時期です。学校の年度に合わせて9月1日が社会的にも新しいスタートを切るタイミングになっています。日本の子供もリトアニアの子供と同じように秋から学校に戻ります。リトアニアでは新年度、日本では新学期が始まります。今、私は暖かい八丈島にいるので、あまりリトアニアの新年度の雰囲気にはなっていませんが、今年は皆さんと一緒にゆっくり、急がず夏っぽい9月を楽しみます。

また今度、IKI!

Asta の日記 DAY 15 「私と水遊び」

Labas、 こんにちは! 

 2022年の夏は私がシュノーケリングに出逢った夏です。八丈島に住んでいる人々にとってはシュノーケリングが一般的な海遊びなのではないかと思いますが、島に来るまでにそのような遊び方については「存在している」ぐらいしかわかりませんでした。だから、自分が初めてシュノーケリングをしたことは忘れられないほど刺激的な思い出になりました。

 ある天気のいい朝、底土港に行きました。浜辺に着いたら、友達が堤防を歩きだして、いきなり深いところから(想像していた砂浜ではなく)海に入ることになりました。想定外の展開に驚かされ、溺れないのかな?波に沖へ流されたらどうしよう?という心配や不安な心で堤防から水面を見つめていました。救いは、ダイビングをしたことがあったので、海中で呼吸する感覚を少し持っていたことです。それだけが少し心を静まらせて、何とかなると思いながら、勇気を振り絞ってゆっくり堤防の階段から海に入りました。

 顔を浸したら、不安の気持ちがびっくりに入れ替わりました。ダイビングと違って、水中を上から見下ろすように幅広く見えました。ダイビングの時、近くから生き物を見ていましたが、今回は全体の流れと様子が手にとるようにわかりました。その中では特に素敵だと思ったのが、広く伸びている緑や灰色のサンゴでした。色々な形を作り、拡散しているサンゴはまるで一つの大きく咲いている海の花に見えました。たまに光に当てられた部分は更に全てを鮮やかにしました。魚の後を追ううちに、あっという間に時間が経ちました。

 小さい頃から森に囲まれた湖や川、たまにリトアニアの海で遊んでいた経験の中ではそこまで水の世界を知る機会がありませんでした。一般的な水の遊びとしては、水着を着て、水に入って自分の手足を使いながら水を横切って水泳することでした。息を止めて、目を閉じたまま潜ることもありましたが、数秒後、もう一度顔を出します。10~30分が経ったら、また岸に戻って日光浴したり、バーベキューしたり、本を読んだり、ボールやトランプで遊んだりすることも多かったです。ウェットスーツ、フィンやゴーグルを着けている人の姿、シュノーケリング、ダイビング、そのような泳ぎ方をしている人は八丈島に来るまで見たことがありませんでした。

 八丈島とリトアニアの水遊びにはそれぞれの特徴があると感じるようになりました。ダイナミックな八丈島では海の命に触れ合うことができました。ゆったりで穏やかなリトアニアの水遊びは体と心を休ませてくれます。遊び方は違っても、水と親しむ文化がどちらにもあります。チャンスがあれば両方試してみるのはどう?

また今度、IKI!

Asta の日記 DAY 14 「三原山と巨人の神様」

Labas、 こんにちは。 

 八丈島に住み始めた時、目に飛び込んでくる八丈富士、三原山、海と八丈小島の中で、すっと背伸びをしているような三原山はもっとも目立っていました。リトアニアには山がないこともありますが、毎日通勤の道を通ったら三原山は私の印象に強く残り、登ってみたいという気持ちが湧きました。しかし、もう一つの忘れてはいけない八丈島の山である八丈富士が三原山の先に私を3回も登らせました。島に来て半年が経った7月の終わり、三原山を眺めるだけの私に、ついに友達と三原山に登山するチャンスが来ました。

 天気のいい土曜日の朝三人のチームで坂上に向かって、大坂トンネルを抜けたらすぐ左の道に曲がって、「三原山登山道入口」の目印があるところから三原山を登り始めました。三原山は濃い霧に包まれていました。細かい階段、霧と近くに生い茂る植物は、上か下か、二つの方向にしか進めない環境を作っていました。最初は小さな階段の道が登りやすかったですが、途中からいきなり道を防いでくる植物はまさにジャングル。

 頭を守りながら慎重に進むと灰色の霧に包まれた空が見えてきました。ここはもう山頂なのかなと思ったら、三原山の石碑は30分先の道にありました。ようやく「三原山山頂700.9m」に着いたら、霧で何も見えない中でここが本当に山なのか確認するため、大きな声で「ヤッホー!!!」と叫びました。すると山から私たちの声がやまびことなり戻って来てくれました。その時ドキドキしながら初めて三原山に登った達成感を味わうことができました。

 帰りも霧の中、道が分かりにくくて、滑らないようにずっと足元を見ていました。少し頭を上げて回りを見ようとしたら急に目の前にあった霧が晴れて、三原山がパーと顔を出しました。びっくりして、友達に「皆見て、山が見えるよ!」と言いました。ずっと霧の中にいたせいかわかりませんが、晴れた景色に圧倒されました。そして山の風景を眺めているうちに少し変わった凸凹に気付きました。よく見ると、その山は眠っている巨人の顔に見え、私は「三原山には巨人がいる」と友達に声を掛けましたが、友達は「山の神様みたいね」と私に言いました。

 同じ景色を見ても表す言葉のチョイスは文化の違いなのかなぁと面白く感じ、リトアニアには巨人、日本には山の神様がいることがわかりました。ぐっすり眠っている巨人の神様を起こさない方がいいと思ったら、私の考えが読まれたように、神秘的な霧がまた降りてきて、巨人の神様の顔を隠しました。私たちも山を降りることにしました。

 霧で思うように景色は楽しめませんでしたが、トトロの世界を思わせる植物のトンネルや階段、友達と一緒に過ごせた時間、ふいに出会った巨人の神様は、私にはとても素敵な体験になりました。

 私はまた三原山に登ろうと思います。今度はきれいな景色と何がおきるか楽しみに。

また今度、IKI!

Asta の日記 DAY 13「日本食と私の胃袋」

Labas、 こんにちは。

皆さんもし、ある日、ラーメン、お米、味噌汁、漬物、豆腐、醤油、お寿司を食べられなくなって、その代わりに、お肉、パン、スープ、乳製品と野菜を食べることになったら、どうなりますか?私は八丈島に来てどうなりましたか、お話します。

リトアニアで普段食べていた料理
旅行先で食べたおいしい日本食

来日する前、毎朝三種類の穀物が入っているポリッジ(お粥みたいなもの)を食べていました。昼にはスープと野菜+お肉/魚の料理をよく食べていました。日本に来てから、私の好きなšaltibarščiai(冷たいビーツスープ)、Rauginti kopūstai (ザワークラウト)、 sūrelis(カードチーズスナック) が消えて、その代わりにおにぎり、揚げ物、麺等のものが目の前に現れました。そうなると予想して悲しむことより、日本料理を食べることを楽しみにしていました。日本料理の中で家庭料理、和食と和菓子がとても好きです。その理由は日本料理がとてもヘルシーであることのイメージの影響もありながら、なにより単純に美味しいからです。お寿司、お団子も、コロッケも、卵焼き、ぜーーーーんぶ美味しいです。これから私も、色々な美味しいものを食べて生活すると思っていました。しかし、その気持ちは私の現実と遠くすれ違いました。実際には、日本料理を中心に食べるようになって、一ヵ月も経たないうちに お腹を壊しました。体重も増えました。どうにも対応とコントロールができなくて、想定外の問題に会いました。

▲島の食堂で食べた私が好きな和食▲

振り返ってみるとお米、ナス、ピーマン、納豆、豆腐、魚、そば、お寿司は毎日食べたものでした。なかなか体にいいものだと思ってたから、どうして胃袋が痛くなっているか、わかりませんでした。組み合わせが悪いとしても、その代わりに何を食べればいいか分からなくて、取り合えず島の人の真似をしてみることにしました。「普段、何を食べているのですか」と聞いてみたら、パン、サラダ、目玉焼き、酢の物、から揚げ、麺、味噌汁とその他の答えが出ました。食べ方まで説明してもらって、自分も作ってみようのやる気で、初めて日本家庭料理にチャレンジしました。結果は、どちらかというと失敗の方でした。やはり細かいところが分からなくて、同じ味を出せませんでした。私が慣れていた塩コショウ、スパイス、ハーブの味付けは、日本人が慣れ親しんでいるしょうゆ、みりん、酢、砂糖と塩の組み合わせとは違いが多過ぎました。

献立に困ったときはコレ
(オートミール、黒大豆、きゅうり)

次に試したのは古き良きリトアニア料理でした。しかし、そこにも複数のハードルがありました。まずは、日本に引っ越したばかりで、リトアニアから持ってきた二つのスーツケース以外何も持っていませんでした。もちろんリトアニア料理に必要なもの(スプーン、オーブン、ボール、フードプロセッサー等)もなくて、そもそもナイフとパンを手に入れることに時間がかかりました。結局八丈ストアで販売されていたナイフとパンを買ってから、二つ目の問題、必要な材料がないことに気付きました。ザワークラウト、ビーツ、ライ麦パン、サワークリーム、ハーブ等がなくって、しかたないと思いながら、八丈島で買える野菜、果物、お肉と魚を定番にしました。玉ねぎ、にんじん、ジャガイモ、キュウリ、トマト、キャベツ、レタス、コーン、カボチャは私の毎回の買い物リストに入りました。徐々に魚、刺身、海老も食べようとしました。

島にある材料を使って、
私が作っているリトアニア料理

日本か、リトアニアか、どちらかの食材の方が安いかというと、リトアニアの勝ちです。リトアニアで毎日食べていた野菜と果物は八丈町の食料品店では比較的に高かったです。例えば、一個のリンゴ215円ぐらいしますが、リトアニアでは215円で、1キロのリンゴ(8個ぐらい)買えたのです。野菜の場合、1キロのトマトをリトアニアでは200円で買えました。日本は初めてではないから金額の違いがあると知ってはいましたが、ある値段で買えたものは何倍も高くなったらけっこう圧倒され、遠慮してしまいます。もちろん、私の胃袋はこれ以上我慢してくれなくて、とりあえず、簡単な材料で食事を作ることにしました。

そうしたら、2-3カ月間でお腹が少しずつ回復し始めました。今も、毎日野菜のサラダを作って、卵、サツマイモ、カボチャをゆでて、鮭を焼いて、穀物の一種類であるオートミールを食べています。もう少し濃い味が欲しい時は、ご飯、お肉、パン、チーズも食べます。

▼毎日作っているリトアニアと島のコラボ料理▼

あびの実が入ったサラダ
植物公園で食べた畑ブロッコリーと八高のカリフラワー
朝食には麦と炒め野菜

八丈島での食事は美味しいけれども、今のところは自分の食べ物に注意する必要があります。これから長い時間をかけて少ない量から日本料理に体を慣らしていくことを試していきたいです。一応、納豆、明日葉、味噌汁と栗を美味しく味わえるようになりました。次はもう少しお腹がお米に慣れたらいいな…

また今度、IKI!